過去の歴史から学ばせて頂き災害等でお亡くなりになられた方々の死を決して無駄にしてはいけないと考えます。

南海トラフト地震M9 新推計想定死者最大32万人 被害が最大となる場合の都道府県別死者数 中部地方が大きく被災するケースの最大死者数

防災・減災等に資する国土強靭化基本法案

2013年5月20日には自民党・公明党が東日本大震災から得られた教訓を踏まえ「防災・減災等に資する【国土強靭化基本法案】(議員立法)」を衆院に提出しました。この「国土強靭化基本法案」の基本理念の中には大規模災害における未然防止、発生時の被害拡大の防止などが盛り込まれております。当時の国会では未成立となりましたが今国会に持ち越され早ければ年内にも成立するかもしれません。

大規模災害復興法

「大規模災害復興法」が成立し6月21日に公布されました。大規模災害が起こった場合,市町村のインフラの復旧を国が直接できるようになるなど災害後の復旧に目を向けた法律の整備も進んでいます。

013年は「防災・減災元年」

これらの法律はすべて高い確率で起こりうるといわれている「南海トラフ地震」や「首都直下地震」を見越してのものだと思います。
今年は「人の命や財産を守る」ことに国を挙げて動き出した「防災・減災元年」と言えます。

これら防災関連法の基本方針には、第一に「人命の保護」が挙げられています。
地震・津波への備えの第一目的は、やはり「人命の保護」です。

地方自治体も動き始めました

津波避難経路付きの新校舎完成
(三重県尾鷲市)

尾鷲市の沿岸部の中学校で、津波から避難するための通路を取り付けた新しい校舎が完成し、引っ越しが行われました。 校舎が完成したのは尾鷲市沿岸部の海抜3メートルにある輪内中学校で、南海トラフを震源とする巨大地震では浸水が想定されています。

輪内中学校では耐震化工事に合わせて、津波にも強い校舎にしようと同じ敷地で建て替えを行い、13日は2学期を前に全校生徒45人が机やイス、パソコンなどを真新しい校舎に運び入れました。

新しい校舎は盛り土によってかさ上げされ、1、2階には倉庫や特別教室、一番上の3階にふだん生徒が過ごす教室になっています。そして、3階からは学校裏の高台につながる道路に直接出られるよう、避難用の通路が取り付けられています。 3年生の生徒は「津波がきたら避難路を使って地域の人と一緒に避難します」と話していました。

(8月13日NHK三重)

こういった避難所がすぐ近くにあり、短時間で避難できれば安心ですね。
しかし、避難所から遠い場合、津波到達前にたどりつけるでしょうか?
避難路は安全ですか?倒壊した建物で道が通れないかもしれません。
液状化した道を走ることはできないかもしれません。

「国土強靭化基本法案」の盲点

津波避難の原則は「高い所への避難」です。
しかし、高齢化 が社会問題になっている今、「高い所へ駈け上がれる」=「助かる」
といった対策で安心できますか?
街中がバリアフリーになり、高齢者や足が不自由な方も暮らしやすくなっています。

津波避難にもバリアフリーの優しさが必要です。

平成24年4月、南海トラフ地震で最大32万人の死亡予測が発表され、その内、静岡県内で津波による死亡者予想は95,000人。浜松市西区に住む私達家族4人共、死亡予想人数に入っており、死刑宣告を受けた心境でした。

平成23年に福島県久之浜漁港に伺った時は、朝から晩まで解体作業の手伝いで、地元で被災された方とお話しする機会はありませんでしたが、平成24年5月に南三陸町にボランティアで伺った際には、今回は被災された方から多くの悲惨な事実をお聞かせ頂きました。

南三陸町役場の女性の方が、お亡くなりになる最後の最後まで、避難を呼びかけ続けていたニュース番組を見た事があります。今回、その後の事を知りました。身元確認は顔ではなくご主人さんが送った指輪であった事や、残されたご家族の話、また別の方で既に亡くなっている愛する息子を3日3晩抱いて寝た話、後追い自殺寸前の方を説得された話、テレビでは放送できない数多くの写真を見せて頂きながら、1時間程お話を聞かせて頂いただけで、涙が止まりませんでした。

上の写真(南三陸防災庁舎)で地面から屋上までの高さは約12m。地震発生後30分で屋上に避難された約20数名の職員の方がお亡くなりになられました。
私の家は、浜松市西区で海抜2m。津波予想高は14m。すなわち地面から12mの津波となります。
第二の故郷の将来の姿と今、肉眼で見ている風景とが重なり、更に発表されていない事実が私達家族や息子の友人の家族、近隣の人達に起こりうるという事を明確に理解し、また南三陸町では地震発生後30分での津波に対し、私たちのエリアは第一波の津波がたったの8分後に来ること。第二波・第三波も南三陸町よりも早い事を理解した時、愛する人たちを失う恐怖と悲しみや憤りの涙で足腰が立たなくなりました。

涙や鼻水出尽くした時に私は決断しました。
『どうせ死ぬのなら、南海トラフ地震と戦って死んでやる!!』
南海トラフ地震と刺し違える覚悟を致しました。スマトラ沖地震で家族を失ったスリランカ人の友人が出来彼から津波の恐ろしさや悲惨な状況を聞き、平成20年からシェルターの研究をしてきました。
今回の東日本大震災をきっかけに研究の成果を実行に移し、不眠不休で4ヶ月後に完成させた第1号をご紹介致します。

これ以外にもバリアフリーで足の不自由な方を想定した住宅一体化タイプシェルターや狭小地住宅地でのシェルターもあります。関東大震災での死者数10万5千人から平成25年で(丸90年)。様々な自然災害でお亡くなりになられた方に報いるためにも、更なるシェルター作りに奮闘致します。  


東日本大震災では、震源から遠く離れた東京湾周辺の地域にまで「地盤の液状化現象」による大規模な被害が発生しました。液状化とは、一見硬そうな地盤が地震の揺れで液体状になることです。その結果、地上の建物や道路などが沈下したり傾いたりするだけでなく、水道管が浮き上がり断水するなどライフラインへの影響も甚大です。

半地下埋め込み式シェルターを開発するにあたり、この液状化現象にも負けない構造にしなければならないというのが大きな課題でした。
新雪の上も歩ける「かんじき」をヒントに液状化した場合も水平にとどまる工夫をしました。


構造躯体は
(1)全国の学校で施工されている耐震補強工事の際の壁厚が30㎝である事。
(2)5階建の鉄筋コンクリート造の壁厚が20~25㎝で津波に耐えている事。
(3)2.5mのよう壁の厚さが30㎝である事。

※(1)・(2)・(3)の事から、シェルターの壁厚・天井の厚さ・床部の厚さをすべて30㎝と致しました。


1年に及ぶ試行錯誤の結果、扉は2重扉と致しました。

1枚目の外扉は、耐火性能で、津波の中の車や船、電柱等の衝撃に耐える、頑丈な扉に致しました。外開き扉にした理由は、津波の衝撃でベコベコになり開かないだろうと予測し、室内から外へ出る時、ジャッキの力で押し開ける事で、脱出が出来ると考えました。2枚目の扉は引き戸で室内側にあります。

この扉が防水扉で1番重要だと考えました。1枚目はこの2枚目の性能を守る為の扉であるとも言えます。


バリアフリーへの配慮

高齢化社会が進む日本、2035年には65歳以上の高齢者が全人口の33.4%(3人に1人)を占めると言われています。

そんな中、生命保険文化センターの調査によると、「自分が要介護者になった時、どこで介護してほしいか」という質問に対し、約40%の人が自宅での介護を希望しました。さらに、現在、公的な特別養護老人ホームは空きがなく、都市部では3~4年待ちも珍しくないという状況です。

自宅での介護が増えていくというこれからの流れの中で、もし、実際に災害に襲われた時でも、誰一人欠けることなく生き残ることを目指し、素早く避難することができない足が不自由な方でもすぐに逃げられる様、バリアフリー設計といたしました。


シェルター水圧実験の様子

浸水の可能性が残されている扉部分に水を注ぎ、2気圧の圧力をかけました。
結果、扉が変形する事もなく、シェルター内への浸水もありませんでした。


シェルター耐火実験の様子

シェルターの扉部分を、1時間以上バーナーで熱した結果、扉の開閉に影響がなかったことはもちろん、シェルター内の温度も変化がありませんでした また、シェルター内に残していたマウスも無事生存しており、有毒ガスなどの影響も受けない事が実証されました。


想像してみてください。地震による火災津波火災が発生しても鎮火するまで命を守り抜くシェルターが自宅にあったなら…「火」にも負けない防災対策になります。
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